龍膽の歴史

1946年:喫茶店兼バアとして開店(現東急の地下、サイゼリアのあるところ)

ママ(名前不詳):35歳 (右上写真:鎌倉文学館所蔵)

常連客:小林秀雄、川端康成、久保田万太郎、久米正雄、大佛次郎、後に立原正秋(早稲田大学学生時代)

19XX年:小町通り入口左角(現不二家)に店舗移転

1960年:店舗火災

1961年:〒248-0006 神奈川県鎌倉市小町1丁目5−18(現UNION隣)に店舗移転

   ※鎌倉ケーブルテレビ広報誌「チャンネルガイド」平成17年10月号掲載

19XX年:PUBに業務形態変更(写真は、看板と店内)

2004年10月30日 “おかあさん”(93才)が足を傷め、礼子ママ(年齢不詳)が引き継ぐ⇒スナック
2015年10月:礼子ママ肝硬変で逝去、サオリンが引き継ぐ

2024年1月12日 サオリン逝去

 

スナック文化

まるで入店を拒絶しているように見える窓の無い分厚いドア。その向こうからは音の外れた1970年代のカラオケが微かに聞こえてくる。スナックを経験した事の無いヒトで、このドアを開ける勇気のあるツワモノはいないことだろう。

 

「スナック」というジャンルの飲酒のできるバーは、日本にしかない不思議な空間だ。キャバレーやナイトクラブのようなショーを見せる場でも会員制でもない。接待をしてくれる場でも、ジェンダーが売られている場でもない。その入口の見かけとは大きく異なり、一歩中に入れば、怪しさは微塵も無く、家族のような暖かな時間が流れる時空間なのだ。そこにいるのは大抵の場合はマスターではなく、「ママ」と呼ばれるアイドル。近所の常連や、そこを訪れる人同士、そして「ママ」との会話を楽しんだり、カラオケを歌ったりする奇妙な社交場なのだ。

 

「スナック」では、「ママ」の位置づけは「推しのアイドル」といったところか。大抵の「ママ」は容姿も美しいが、客は容姿というよりも「ママ」の個性に惹かれて「スナック」を訪れる。「ママ」というのは、初期の「スナック」でそのコミュニティのお母さん的な存在だったアイドルがいた事から、いつしかそのように呼ばれるようになった。だが、慣れた客はイキナリ「ママ」と呼んだりはしない。その店の「ママ」が呼んでほしいニックネームがあるのだ。

 

「スナック」には暗黙の「慣れた呑み方」がある。

  1.  「ママ」は「推しのアイドル」、そう思えないなら、あなたは、その「スナック」には縁がなかったと考えなければいけない。
  2.  「ママ」の前では、客は誰でも対等である。権威や地位、職業の種類、年齢の違い、貴賤上下の差別はないのだ。特に客が店に「恩を売る」言動は見るに耐えないみっともない行為だ。
  3.  人にマウントを取らない。「オレの店」的なハシタナイ言動を慎む。たまに、「オレは、〇〇さんと知り合いだ」とか、「ここはオレの店だ」とか言う人がいるが、そういう人は密かに周りから「可哀想に」と憐れまれている事に気づいていないのだ。
  4.  「スナック」は時空間を楽しむ場なので、その収入源はテーブルチャージと酒料である。「スナック」を楽しむ資格のある人とは、この時空間にお金を払うことに躊躇しない人なのだ。そのためには一時間あたり2000円を店に落とす計算で行動することだ。もちろん、店が滞在時間を測るなんてことはしない。そういう「推しのアイドル」に対する紳士淑女の行動に期待しているからだ。お酒を飲めなくても、慣れた客なら「〇〇さんに一杯どうぞ」と言って追加の一時間を過ごすことだろう。
  5.  タバコやカラオケのように他の客が嫌がるかもしれない事については、「構いませんか?」と言ったり、歌の音量を少しだけ下げて歌ったりしてみよう。

 

これぐらいを知っていれば、どこのスナックに行っても快く見ず知らずの人からもまるで何年も前からの旧知の友人のように迎えられることだろう。

 

(神湘大学 Ephyra)